平戸島のさらに西に位置する生月島は平地のない山がちの島です。最近合併により平戸市生月町となりました。1991年に平戸島との間に長さ960mの生月大橋が架かり、平戸大橋を経由して九州本土と陸路でつながりました。
生月島では16世紀に領主の籠手田(こてだ)氏がキリスト教に入信したため、島民もほとんどキリシタンになりました。その後禁教令が敷かれ厳しい弾圧、処刑が行われ殉教の島となりました。信者達はその後も信仰を守って隠れキリシタンとなり当時の信仰を宗教改革等の洗礼を受けることなくそのままの状態で今に伝えています。産業は、棚田を利用した稲作や黒毛和牛繁殖、大型定置網漁業や一本釣りが盛んです。秋には島の周囲でトビウオ漁が行われ、大型遠洋旋網漁船団の一大基地でもあります。
絶景の中、農漁業関連で生計を立てる人や釣りを生き甲斐としている人、遠洋旋網漁船などの船乗りの家庭を守る主婦などがインストラクターです。東アジアや世界の海をまたいで生きてきた人々が指導します。